【人生の必須スキル】情報分析力と意思決定力

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くろやぎ
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みなさん、こんにちは!
くろやぎ(kuroyagikuncom)です。
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膨大な情報に飲まれたI君

リア充のツイートを毎日欠かさずチェックしている、僕の数少ない友達の一人であるI君。
自分には縁のない人たちの生活をSNSでのぞき見ては、「リア充爆発しろ」と念じている彼。
「そんなことで気を悪くするなら、見なきゃいいんじゃん」と僕は思うんだが…
でも、彼が悪いというよりかは、情報量が多くなった現代だからこその弊害なんじゃないかとも思う。

昔はどうなの?

逆に情報量が今より少ない時代について考えてみます。
インターネットが普及していなかったら、SNS でリア充アピールしている人たちの存在なんて知る由もないですよね。
必然的に、リア充に対して嫉妬することも少なくなります。
嫉妬があるとすれば、せいぜい同じクラスのイケメンのH君と、超絶美女のFさんが付き合っているのを見て「チクショ~!」って思うぐらいでしょう。

情報量と選択の関係

今はリア充の例を挙げましたが、話を飛躍させると就職の際の進路決定について言及することができます。

昔はこの村の子はこの仕事、この学校の出身の子はこの仕事という風に、ある程度自分の身分に応じて自分の将来が決まっていました。
自分の身分によって人生が決まってしまうことを考えると、選択肢が少ないことは不幸であるかのように思われます。

一方、現代のように色々な選択肢があるのは自由である反面、どの選択肢にすれば良いかを悩む手間も増えます。
自由と制限はトレードオフの関係であるから当たり前と言われれば当たり前。
ただひとつ言いたいのは、情報量が多くなった時代に生きる人々は大変なんじゃないかという説が浮上したということです。

もう少し学問的な話をします。
ある研究では人類30万年の情報量よりも、2001~2003年の3年間の全世界の情報量が多いという結果が出ています。
情報量の定義が曖昧で、そもそも比較なんてできるのか?というツッコミを入れたくなりますが、要するにこの研究からわかることは、情報がありすぎていて、何が正しくて何が違うのかが分かりにくくなっているということです。

この状況を示す言葉に「情報オーバーロード」というものがあります。
情報があれば役に立つことが多いが、多過ぎると注意が散漫になったり、本質的な課題解決への足かせになったりするということです。
情報の豊富さはかえって生産性を低下させる恐れがあります。

また選択の自由が幸福に与える影響を考えた学者がいます。
心理学者のバリー・シュワルツはこんな言葉を残しています。
「人は選択肢が多くなればなるほど、不幸を感じやすくなる心理効果が働く」
要するに適度な不自由が幸せを生むということ。

一見すると比例しているように見える、物質的な豊かさと幸福度。
しかしながら、これらに正の相関がないと彼は言っているのです。

これを具体的に考える例として、日本とブータンという二つの国を見てみましょう。
その国の幸福度の指標となる GNH という指数は、日本よりもブータンの方が高いです。
しかしながら、その国の成長度を示す GDP は圧倒的に日本の方が上です。
この客観的事実は、物質的な豊かさと幸福度に正の相関がないことを裏付けています。

情報に踊らされずに、情報を使って人生というステージで華麗に踊る

膨大な情報の中に生きる今の人々は適切な情報のインプットが必要なのは言うまでもありません。
完全にシャットアウトしてしまうのもダメ。
膨大な情報を全てインプットし、それを活用することなく右から左へ流すのもダメ。

情報リテラシーのある人は正しい情報を手に入れ続け、その情報を生かすことで成長する。そして成長することで幸福感を感じ、さらにまた成長を続けることができる。
反対に情報リテラシーのない人はただ選択肢を増やし続け、自分に必要なものを取捨選択する能力もなく、成長できない。それにより不幸感が生じる。

まとめ

最後に言いたいのは、人生の選択の権利は自分自身が握っている場合がほとんどであるということです。
自分自身が面白いと思った選択、ワクワクする選択、ドキドキする選択。
どんな選択であろうと、自分が自分の意思で選択したもの、それがその時の”自分にとっての正解”なのです。
この世界を幸せにするのも不幸せにするのも、自分自身です。

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